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福岡高等裁判所宮崎支部 昭和30年(ナ)4号 判決 1956年7月12日

原告 林新太郎

被告 鹿児島県選挙管理委員会

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一、請求の趣旨

原告訴訟代理人は、被告鹿児島県選挙管理委員会が原告に対し、昭和三〇年七月二八日附でなした裁決は、これを取消す。訴訟費用は、被告の負担とする。との判決を求める。と申立てた。

第二、請求の原因

原告訴訟代理人は、請求の原因として、次のように述べた。

(一)、原告は昭和三〇年四月三〇日施行の鹿児島県加治木町議会議員選挙に当選し、同年五月一日同町選挙管理委員会から当選決定の通知を受け、原告はこれを承諾し、爾来同町議会議員としてその職務を遂行してきているものである。

(二)、右当選決定通知後、訴外市来徹は原告の右当選決定に対し異議を申立てたところ、同町選挙管理委員会は昭和三〇年五月一七日右異議を容認し、原告の得票数一六九、五五四票中有効投票と認めた「はやししんぞう」の一票は、当時の立候補中、林新太郎、林政雄及び森新蔵のうち、何人を指すものか確認しがたい。それで、右投票は公職選挙法第六八条第七号に該当するものとし、原告たる林新太郎の当選を無効とする旨の決定をした。

(三)、そこで、原告は右決定を不当とし、被告に対し、該決定取消の訴願を申立てたところ、被告は昭和三〇年七月二八日附をもつて原告の訴願を棄却する旨の裁決を行い、該裁決書は同月二九日附をもつて原告に送達されたのであるが、しかるに右裁決は次のような理由により誤りである。

(1)(イ)、被告は原告の「我が国においては氏を正確に唱うる人は多いが、名はあいまいに述べる人が多い。氏と名とは何れが比重が大きいかといえば、氏の方が比重が大きい。従つて、林新蔵は森新蔵より林新太郎の氏名に近い記載であるといえる。」との主張を排斥して曰く、「田舎の日常生活では名を呼ぶことが多く、公式の特殊な場合を除き名を呼ぶのが通例であり、氏が名より比重が大きいとは限らないと思料する」としている。しかし、右裁決書自体において認めているように、田舎の日常生活では名を呼ぶことが多いとしても、公式の場合には氏をもつて呼ぶのが通常であり、選挙投票というと、これ以上の公式のことはなく、選挙民は皆緊張して投票場に臨むのが普通である。このような場合は、まず、名よりも氏を記載するのが当然であつて、「はやししんぞう」との記載がある場合には、まず、その氏を重じて投票したとみるのが投票者の真意に合致するものといわねばならない。

(ロ)、更に、被告は右裁決書に認めているように、原告が加治木町において知名士の一人に数えられ、同人が一般には「林新太」と呼ばれ、中年以上の者は殆んど「新太サー」、「新サー」、「新太ドン」と呼ばれているのが普通であるとすれば、「はやししんぞう」という投票は、原告に対する投票と解するのが相当である。これをもつて、何人を記載したか確認しがたいものとして無効とした被告の裁決は不当である。

(ハ)、一体、投票がいわゆる混記であるか、また、何人を記載したか確認しがたい場合には、各具体的の場合において投票者の真意を付度して決定すべきであること公職選挙法第六七条の規定の趣旨からみても明らかである。本件の如きは、明らかに原告たる林新太郎に投票したものと認め得られる場合であつて、これを有効とすることは、正に、同法第六七条の規定の趣旨に合致するものといわなくてはならない。それで、これに反する被告の裁決は不当である。

(2)  次に、被告は「ハヤシシンタロ」と記載した投票を他事記載として無効としているが、右投票は、片仮名も上手に書き得ない投票者が「シンタロウ」と記載する考えで「ウ」の文字を略して「」と書いたものと認めるのが相当である。仮りに「シンタロニ」と記載したものとするも、右は原告に投票する意思を強く表現したものというべく、同法第六八条第五号但書に、いわゆる敬称の類とも解せられ、また、同法第六七条の趣旨より考えても有効投票と解すべきである。

(3)  更に、被告は選挙会において無効と決定した投票中「イ禾オル」と記載された投票を取上げ、右は「イチキトオル」の「キ」の文字を脱落したものと判定すべく、市来徹候補のため有効投票とすべきであると裁決している。しかし、これは甚だしき独断で失当といわなくてはならない。けだし、投票用紙に記載すべき候補者の氏名は必ず文字をもつて自書すべきであることは、同法第四七条、第六八条第六号の規定よりみて明らかであるから、「禾」の記載は文字とみることを得ないこと何人も疑う余地は存しない。即ち「イ禾オル」は文字を記載したものでもなく、氏名を自書したものともいい得ないから、明らかに無効な投票である。しかるに、被告が、右投票は「イチキトオル」の「キ」の文字を脱落した有効投票であるとしたのは、法を無視した不当な裁決であるといわざるを得ない。

(4)  なお、被告は「イキテツ」とある投票を、市来徹の有効投票として加算しているのであるが、加治木町には壱岐又は市来姓は多数あり、しかも、他に市来、市来原という姓の立候補者もあるので、右投票はたやすく市来徹に対する投票とみることはできない。しかるに右投票を市来徹の分の有効得票に加算した被告の裁決は不当である。

(四)、以上のように、被告は原告に対する有効投票を無効とし、反対に、市来徹に対し、一旦無効と決定された投票中より、文字の記載とは認め得ない投票を選び出し、それを有効投票と裁決し、その結果、市来徹の得票数一六八、七七六票、原告の得票数一六七、五五四票であるとし、従つて原告の当選を無効とした加治木町選挙管理委員会の決定を支持し、原告の訴願を棄却した被告の前記裁決は不当である。それ故、右裁決の取消を求めるため、本訴請求に及んだ次第である。

第三、被告の答弁

被告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、原告の請求の原因としての主張に対し、次のように述べた。

(一)、原告主張の選挙に関し、その主張の日加治木町選挙管理委員会から原告に対し、当選決定の通知をし、原告がこれを承諾したこと、右当選決定通知後、訴外市来徹が原告の右当選決定に対し異議を申立て、加治木町選挙管理委員会は原告主張のように右異議を容認し、さきに有効投票と認めた「はやししんぞう」の一票は、その主張のような理由に基き無効であるとし、原告の当選を無効とするとの決定をしたこと及び原告主張の訴願の申立に対し、被告が原告主張の日これを棄却する旨の裁決をし、その裁決書はその主張の日附をもつて原告に送達されたことは認める。しかし、その余の原告主張事実は、次に述べるとおり理由がない。

(1)(イ)、田舎の生活においては、名を呼ぶことが多く、公式の場合でも必ずしも名より氏を記載するとはいい得ない。それで「はやししんぞう」の記載が、原告主張のように、その氏を重んじて投票したとみるのが、投票者の真意に合致するものとはたやすく断ずることができない。本件「はやししんぞう」なる記載は、当時の立候補者林新太郎、林政雄及び森新蔵のうち何人を指すか確認し得ないのである。

(ロ)、加治木町において、原告は一般には「林新太」と呼ばれ、中年以上の者は殆んど「新太サー」「新サー」「新太どん」と呼ぶのが普通であり、「はやししんたう」と訛つて呼ぶことはなく、また、「はやししんぞう」、「しんぞう」なる呼名は原告には用いられていない。しかも、立候補者の一人には「森新蔵」があり、「しんぞう」は同人の名前を書いたものと解されるので、結局、本件の場合には何人を指したものか不明の場合にあたるのである。

(ハ)、投票が、いわゆる混記か又は何人を記載したか確認しがたい場合においては、投票者の真意を付度して決定すべきこと勿論であるが、本件においては、上述の如く、投票者の真意が何人を記載せんとしたものか推測しがたいので、原告がいうように「明らかに原告たる林新太郎に投票したものと認め得られる場合である」とするのは当らない。

(2)  次に「ハヤシシンタロ」と記載ある投票は、その書体からみて「」の記載は「ウ」の文字を記載したものとは認めがたい。また、「ニ」の片仮名の文字を続けて書いたものともみられず、なお、何等かの敬称を用いたものとも認められない。「」の記載は文字の形のようにはみえるが、何を書いたものか不明であり、結局、他事記載として無効とすべきである。

(3)  更に、「イ禾オル」なる投票をみれば、「イ」の文字は明らかであり、「禾」は「チ」と「ト」の文字が接し過ぎているだけで、「チ」と「ト」と明らかに読み得るから、候補者「イチキトオル」の「キ」の文字を脱落したもので、右市来徹を指していることを確め得るから、被告がこれを有効投票としたのは原告主張のように独断であるということを得ない。

(4)  なお、「イキテツ」の投票は、訴外市来徹を「イチキテツ」とも呼ぶので、右投票は「チ」の一字が脱落しているだけであり、しかも、当時の立候補者中には「イキ」姓のものはなかつたから、右投票を訴外市来徹に対する有効投票としたのは相当である。

よつて、原告の主張は、いずれも失当である。

第四、証拠(省略)

理由

(一)  原告主張の選挙に際し、その主張の日鹿児島県加治木町選挙管理委員会から原告に対し、当選決定の通知があり、原告がこれを承諾したこと、右当選決定通知後、訴外市来徹が右当選決定に対し異議を申立て、加治木町選挙管理委員会は原告主張のように右異議を容認し、その主張の理由の下に原告の当選を無効とする決定をしたこと、しかして、原告は該決定に対し訴願を申立て、被告は原告主張の日附をもつて原告の訴願を棄却する旨の裁決を行い、同裁決書は原告主張の日原告に送達されたことは当事者間に争がない。

(二)  よつて、原告主張の各投票の効力について次のとおり按ずる。

(1)、「はやししんぞう」なる投票について。

証人日高金吾の証言の一部(後記措信しない部分を除く)、同大山綱男及び同入部清助の各証言を綜合すれば、昭和三〇年四月三〇日施行の本件加治木町議会議員選挙に際し、立候補した者は全部で六九名であり、その内に林新太郎、林政雄及び森新蔵も立候補したところ、元来、原告は加治木町方面では相当名の知られた人物で、一般には「林新太」又は「はやししんたろ」と呼ばれてはいるが、「はやししんたう」と呼ばれることのない事実が認められる。右認定に反する証人日高金吾及び同森元栄の証言は措信しがたい。しかして、右認定の事実と検証の結果(第一回、写真第一)を綜合すればは、「はやししんぞう」なる投票は鉛筆にて記載され、その筆跡は幼稚ではあるが、仮りに、右投票が原告のために投票されたとすれば、加治木町方面において相当名の知られた原告の名を間違えて、当時立候補者中の森新蔵の「しんぞう」の名を記載するものとは思料されない。しかも、森と林の文字は近似していて、森林という熟語もある如く、この場合の森は「しん」と読まれていること一般公知の事実であり、無学の者には森と林の文字は応々間違えて読まれ易いとも思えるので、右「はやししんぞう」なる投票は、却つて森新蔵に対する投票ともみられないでもない。してみると、かように混同し易い氏名の者が数名あり、投票者の一票の如何によつては当落に影響を及ぼすことの甚大な場合に、氏と名の比重を云々すべき限りでないと解すべきであり、しかして、投票がいわゆる混記か又は何人を記載したか確認しがたい場合には、投票者の真意を忖度して決定すべきことは勿論であるが、本件の場合においては、「はやししんぞう」なる投票は、結局、前掲立候補者中、林新太郎、林政雄及び森新蔵のうち何人を記載したものか確認しがたい場合にあたるものといわざるを得ない。されば、被告が「はやししんぞう」なる投票を前記趣旨の下に無効とした裁決は相当であるというべきである。

(2)  「ハヤシシンタロ乙」なる投票について。

林新太郎の氏名は、片仮名で記載する場合「ハヤシシンタロウ」の最後の「ウ」の文字を省略し、「ハヤシシンタロ」と記載することの通例であることは顕著な事実であり、しかも、林新太郎は加治木町方面においては、一般に「ハヤシシンタロ」と呼ばれていること前段認定のとおりである。しかして、検証の結果(第一回、写真第二)に徴すれば、「ハヤシシンタロ」なる記載のうち、「ハヤシシンタ」までの文字は明瞭に読み得るし、「タ」の文字の下の一字「ロ」はやや明瞭を欠くが、片仮名の「ロ」の文字であることは十分判読し得られるところである。しかし、最後の「」の一字は「ウ」の文字を記載したものとは到底認めがたいところであり、また、片仮名の「ニ」又は「エ」の文字を続けて「」と記載したものか、そのいずれとも推測しがたく、却つて、漢字の「乙」に近い記載と見受けられるのである。しかも、本件は「ハヤシシンタロ」までの文字は、字の配置、筆の運びもよく筆跡もさまでつたなくないことが認められること等を考え合せると、「ハヤシシンタロ」の下の一字「」の記載はいわゆる敬称とも認めがたいから、「乙」の記載は他事記載とみるのが相当であり、従つて、右投票は無効であるといわざるを得ない。

(3)  「イ禾オル」なる投票について。

検証の結果(第一回、写真第三)によれば、「イ禾オル」なる投票の文字は、まことにつたない文字であることが明らかであり、他の抹消した部分とを照し合せて考えると、右投票をした選挙人は相当努力して候補者の氏名を記載したことが窺い得られるのである。即ち、本件「イ禾オル」の記載のうち、最初の「イ」の文字は十分判読し得られ、次に「禾」の文字は「チ」と「ト」の文字を余り接し過ぎて記載したため「禾」の形となつたことが認められる。しかして、かように、つたない文字を書く者は応々文字を接し過ぎて記載し、一寸見ただけでは読みにくいことのあることは経験則上明らかなところである。しかも、証人日高金吾の証言によれば、本件選挙に際しては、「イキ」姓の立候補者はなく、市来姓の立候補者は市来徹、市来政経の二名であり、他にこれに類似する姓を有する市来原静男のあつたことが明らかであるから、右「イ禾オル」の投票は、叙上の事情から勘案してみれば「イチキ」の「キ」の文字を脱落したものであつて、市来徹に対する有効投票と認めるのが相当である。

(4)  「イキテツ」なる投票について。

市来徹の「徹」の文字は「トオル」とも読み、「テツ」とも読まれることは多言を要しないところである。しかして、証人日高金吾の証言並びに検証の結果(第一回、検証見取図のうち第七図)を綜合して考量すれば、加治木町方面においては、市来徹のことを「イチキテツ」とも呼んでいることが認められ、しかも、本件選挙に際しては、「イキ」姓の立候補者のいなかつたことは前段認定のとおりであるから、本件「イキテツ」の記載中、「イキ」は「イチキ」の「チ」の文字を脱落したものであり、「テツ」は徹を指していることが窺い得られるので、「イキテツ」なる投票は、結局、市来徹を指して投票されたものであり、従つて、右投票も市来徹に対する有効投票とみるのが相当である。

原告提出の甲号各証の存在は何等叙上認定の妨げとならないし、他に叙上認定を覆し、原告の主張事実を認めるに足る証拠はない。

よつて、被告の裁決には何等の違法もないから、原告の本訴請求は失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 山下辰夫 二見虎雄 長友文士)

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